安倍仲麿入唐(あべのなかまろにっとう)の事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 22:44 UTC 版)
「安倍晴明物語」の記事における「安倍仲麿入唐(あべのなかまろにっとう)の事」の解説
(『簠簋抄』が原典だが、『簠簋抄』は『江談抄』第三「吉備入唐間事」を元にしている) 伯道上人の書き記した秘伝書は後に日本へ伝わることとなるのだが、それには安倍仲麿(阿倍仲麻呂)が関わっている。安倍仲麿は元正天皇の時代の人で、霊亀2年(西暦716年)に遣唐使として唐へ渡った。さらに仲麿は熒惑星(けいわくしょう)の分身でもあった。同じ熒惑星が降りた者としては東方朔がいる。彼は漢の武帝の政事を補佐し、世を豊かにした。それゆえ、仲麿も東方朔同様、自国(日本)のために尽くすものと思われ、これが唐にとっては日本の不服従につながることから、日本への帰国が許されず、高楼に幽閉される。嘆き悲しんだ仲麿は「あまの原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」と句を読むが、最後は食を断って自死した。仲麿の霊魂は死して後、鬼となって彷徨い、出会った者は体調を崩し死に至ったという。
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