宇都宮城下
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 06:17 UTC 版)
宇都宮城下では城主本多正純の下で宇都宮城の整備と町割りが行われ、その西部に宇都宮宿が新たに設けられた。日光街道は旧奥州道を辿って北上し、宇都宮城の手前の不動堂付近で古道奥州道から外れ、城の西側方面に一旦折れた後に北上する経路が取られ、宿内の新石町と伝馬町、本郷町の界隈に新奥州街道との追分が設けられた。ここより奥州街道は東進し、日光街道は北進する。かつて沿道には杉の木が植えられ、特に松平正綱は約20年にわたって植樹を続けたといわれている。現在も栃木県日光市の一部区間に日光杉並木として残されている。
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