宇品の軍事基地化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 02:04 UTC 版)
1894年に日清戦争が始まり広島(当時、山陽鉄道の西の終着点であった)が軍事拠点として注目されると、同年8月山陽鉄道により広島~宇品間に軍用鉄道が敷設(のちの宇品線)された。これにより宇品地区・宇品港には続々と兵員が輸送され、この地区は大陸進出の前進基地とみなされた。なお1894年に作られた唱歌「港」(旗野十一郎・林柳波作詞、吉田信太作曲)は当時の宇品港の賑わいを歌ったものである。さらに1897年に広島陸軍糧秣支廠、1902年に陸軍運輸部が設置されたことで、宇品の兵站基地化は決定的なものとなった。その後1911年には陸軍糧秣支廠に全国一の規模をもつ缶詰工場が建設されている。
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