学者・研究者として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/18 13:51 UTC 版)
イェーナ大学在学中にカール・マルクスの『資本論』を知り、これを日本に紹介した。ただし、丁卯次郎本人は共産主義・社会主義に傾倒していたわけではない。[要出典] 著書に辞書『獨話會話編』(須原鐡二発行、1886年(明治19年))、編著に『欧米各国株式会社要解』(博文館、1896年(明治29年))、論文「Das Japanische Geldwesen (日本の通貨制度)」(Verlag von R.L. Prager, Berlin発行 1890年(明治23年))[要出典]がある。また、訳書として、グスターフ・シェーンベルヒ『工業的労働者問題」(経濟雑誌社、1902年(明治35年)、依田昌言との共訳)、フォン・コスタネッキ『倉庫證券論』(住友倉庫(編)、吉川弘文館、 1905年(明治38年))がある。このほか、1892年(明治25年)頃から『国家学会雑誌』に社会問題やマルクス、フェルディナント・ラッサールについて執筆した。
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