学問・思想・詩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 14:24 UTC 版)
楊万里は張浚によって「正心誠意」の学を授けられ、その言葉に深く感じ書斎を誠斎と名づけ、誠斎先生と呼ばれた。その学風は史伝を多く引証し、六経に精しかった。つとに異民族に侵略された北方の回復を望み、君道・国務・治原など30カ条の文を作り「千慮策」として朝廷に献じたこともある。 詩人としても名声が高く、南宋の詩人としては陸游についで伝わる作が多い。陸游が晩年、韓侂冑に妥協したのに対し楊万里は節を曲げず、そのため「詩品の洗練されていることでは陸游がまさるが、人品を問うならば陸游は楊万里に遠くおよばない」と『四庫全書総目提要』は評している。その詩法は江西詩派の流れをくみ、黄庭堅風の詩を書いていたが、のちに自らその時期の詩を焼き捨てたという。唐詩を愛好し、観察発想が奇抜であり「才思健抜」と称せられた。宋詩のうちもっとも俗語を多用するという。その詩文はすべて、楊万里の長男が編纂した『誠斎集』133巻に収められている。
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