奇病の原因究明
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 19:34 UTC 版)
この「日永肝炎」は1968年(昭和43年)に国会にも公害問題や環境問題として取り上げられて、「界面活性剤による四日市ぜんそく以外の新しい四日市の公害病ではないか」と云う議論があり、田中覚三重県知事は、その後の記者会見で「日永地区を流れる天白川・鹿化川の水質調査の結果は、重金属による汚染が原因ではない事は明白である。ウイルスによるものかはの確認は肝臓組織の検査を待つしかない」と語った。この間の期間に市立四日市病院では、日本国内に東北大学医学部にしかない最新式の腹くう鏡を入手して、川村耕造医師がこれを駆使して医学調査・研究に当たり、日永肝炎の集団検診が行われた。川村耕造医師が、同病院への肝臓病患者50人の肝臓組織を持って東京大学三宅病理学教室を訪れて、検討してもらった結果「四日市の集団肝炎は、公害とはまず関係のないウイルス性の肝炎」との結論を得ている。その後「日永肝炎」は時日を経て終息した。
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