太宰孫九
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/05 02:14 UTC 版)
太宰孫九
だざい まごく
|
|
---|---|
![]() |
|
生年月日 | 1879年10月8日 |
出生地 | ![]() (現宇和島市) |
没年月日 | 1942年11月27日(63歳没) |
出身校 | 第四高等学校 |
所属政党 | (立憲政友会→) (政友本党→) 立憲民政党 |
選挙区 | 愛媛県第7選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1924年 - 1928年1月21日 |
![]() |
|
在任期間 | 1921年12月9日 - 1923年9月24日 |
選挙区 | 北宇和郡選挙区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1917年7月17日 - 1923年 1931年 - 1932年10月21日 |
二名村長
|
|
在任期間 | 1912年11月 - 1913年7月 |
北宇和郡会議員
|
|
在任期間 | 1911年9月 - 1915年9月 |
その他の職歴
|
|
二名村会議員 (1905年1月 - ?) |
太宰 孫九(だざい まごく、1879年10月8日[1][2] - 1942年11月27日[3])は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。伊予鉄道電気(現伊予鉄グループ)6代社長[4]。
経歴
愛媛県北宇和郡二名村(三間町を経て現宇和島市)生まれ[5]。第四高等学校で学ぶ[2][5]。1905年1月に二名村会議員となる[2]。以後、北宇和郡会議員(1911年9月から1915年9月まで)、二名村長(1912年11月から1913年7月まで)を歴任する[2]。
1915年9月の愛媛県会議員選挙に北宇和郡選挙区から、立憲政友会所属で立候補したが次点で落選した[6]。その後、1917年7月の補欠選挙に当選して、同月17日に県会議員となる[2][6]。1919年の県会議員選挙で再選を果たした[7]。1921年12月9日から1923年9月24日までは第11代副議長も務めた[2][8]。1923年の県会議員選挙では予想に反して落選した[9][10]。
1924年の第15回衆議院議員総選挙において愛媛7区から政友本党公認で立候補して当選した[11][12]。政友本党解党後は立憲民政党に参加した[13]。1928年の第16回衆議院議員総選挙には立候補しなかった[14]。1931年の県会議員選挙に当選して、返り咲きを果たした[15]。しかし、1932年10月21日に議員失格となった[16]。
このほか、所得税調査委員、北宇和郡畜産組合長、同郡農会長等の公職のほか、宇和水力電気専務、宇和島製糸社長、宇和製氷専務、穂積銀行取締役、宇和島材木取締役、伊予鉄道電気(現伊予鉄グループ)社長なども務めた[2][5][4]。
長女は俳人の芝不器男と結婚している(芝が婿養子になった)。
脚注
- ^ 衆議院『第四十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1924年、30頁。
- ^ a b c d e f g 『愛媛県人物名鑑 第3輯』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』349頁。
- ^ a b “株式会社伊予鉄グループ歴代社長”. 伊予鉄グループホームページ. 2025年1月4日閲覧。
- ^ a b c 『国会大鑑 衆議院篇』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 『愛媛県議会史 第3巻』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『愛媛県議会史 第3巻』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ “歴代議長・副議長一覧 - 愛媛県議会 - 愛媛県庁公式ホームページ”. www.pref.ehime.jp. 2024年6月14日閲覧。
- ^ 『愛媛県議会史 第3巻』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『愛媛県議会史 第3巻』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』76頁。
- ^ 『愛媛県議会史 第3巻』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『愛媛県議会史 第4巻』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『愛媛県議会史 第4巻』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『愛媛県議会史 第4巻』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『愛媛県議会史 第4巻』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
参考文献
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 院内会派編衆議院の部』大蔵省印刷局、1990年。
- 太宰孫九のページへのリンク