天若日子の派遣と死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 04:12 UTC 版)
高御産巣日神と天照大御神が八百万の神々に今度はどの神を派遣すべきかと問うと、八百万の神々と思金神が相談して「天津国玉神の子である天若日子(あめのわかひこ)を遣わすべき」と答えた。そこで、天若日子に天之麻迦古弓(あめのまかこゆみ)と天之羽々矢(あめのははや)と与えて葦原中国に遣わした。しかし、天若日子は大国主神の娘の下照比売(したてるひめ)と結婚し、自分が葦原中国の王になろうと企み8年たっても高天原に戻らなかった。これを不審に思った天照大御神と高御産巣日神は八百万の神々と思金神の勧めで雉名鳴女(きぎしのななきめ)を派遣して使命を果たさない理由を天若日子に尋ねさせた。 鳴女が天若日子の家の前で大きな鳴き声をあげると、天佐具売(あめのさぐめ)が「この鳥は鳴き声が不吉なので射殺してしまいなさい」と天若日子をそそのかした。そこで彼は高木神から与えられた天之波士弓(あめのはじゆみ)と天之加久矢(あめのかくや)で鳴女の胸を射抜き、その矢は天照大御神と高木神の所まで飛んで行った。高木神は血が付いていたその矢を、天若日子に与えた天羽々矢であると諸神に示して、「天若日子は命令に背かないで、悪い神の射た矢が飛んで来たのなら、この矢は天若日子に当たるな。もし天若日子に邪心あれば、この矢に当たれ」と言って矢を下界に投げ返した。矢は朝の寝床に寝ていた天若日子の胸を射抜き、彼は死んでしまった。 天若日子の死を嘆く下照比売の泣き声を、天にいる天若日子の父・天津国玉神や母が聞き、下界に降りて悲しみ喪屋(もや)を作った。天若日子によく似ていた阿遅志貴高日子根神(あじしきたかひこね)が弔いに訪れた時、天若日子の父と妻が「我が子は死なないで生きていた」「私の夫は死なずに生きていた」と言って阿遅志貴高日子根神に抱きついた。すると阿遅志貴高日子根神は「友人だからこそ弔問に来た。どうして穢らわしい死人と見間違えるのか」と怒り、大量(おおはかり)という剣で喪屋を切り倒し、蹴り飛ばしてしまった。この喪屋が美濃国の喪山であるという。阿遅志貴高日子根神の妹の高比売命は、以下の歌を詠んだ。 阿米那流夜 淤登多那婆多能 宇那賀世流 多麻能美須麻流 美須麻流邇 阿那陀麻波夜 美多邇 布多和多良須 阿治志貴多迦 比古泥能迦微曽也 .mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}天(あめ)なるや 弟棚機(おとたなばた)の うながせる 玉の御統(みすまる) 御統に 穴玉はや み谷 ニ(ふた)渡らす 阿治志貴高日子根の神ぞや (天上の若い織姫が首に掛けている玉飾り、その玉飾りの大きい玉のような方は、谷を二つも渡られた阿遅志貴高日子根神です)
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