大震災と分裂騒動、その後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 04:27 UTC 版)
「中村誠 (空手家)」の記事における「大震災と分裂騒動、その後」の解説
1995年(平成7年)1月17日に阪神・淡路大震災を被っていた中村は、自分の事は後回しにし、近隣の住人の救出活動に専念していた。この頃、極真会館は分裂騒動の前兆が出ていた頃で支部長会議に出席するよう何度も督促が来ていたが、数人の弟子を失った中村は現地での対応を優先し、会議には参加しなかった。その後も復旧作業や支援を優先していたため、4月に勃発した松井館長を信任できないとする支部長たちの退会や独立、新派結成、いわゆる分裂騒動に巻き込まれることはなかった。中村は病床の大山を見舞った時、直接「不満はあるだろうが、松井章圭を中心に第2次新会館建設委員会を発足する。応援してやってくれ」と言われていたので、大山が松井を後継者にしたと判断し、そのまま松井章圭を館長とする極真会館に残った。 2016年(平成28年)12月4日に公式ウェブサイト上において、松井章奎の組織(極真会館松井派)から離れ、新たに「国際空手道連盟 極真会館中村道場」として活動していくことを表明した。
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