大雄寺 (宮城県南三陸町)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 大雄寺 (宮城県南三陸町)の意味・解説 

大雄寺 (宮城県南三陸町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/06 09:27 UTC 版)

大雄寺

山門(2019年3月)
所在地 宮城県本吉郡南三陸町志津川田尻畑 10-1
位置 北緯38度40分46.4秒 東経141度26分1.8秒 / 北緯38.679556度 東経141.433833度 / 38.679556; 141.433833座標: 北緯38度40分46.4秒 東経141度26分1.8秒 / 北緯38.679556度 東経141.433833度 / 38.679556; 141.433833
山号 松林山
宗派 曹洞宗
本尊 阿弥陀如来
開基 藤原高衡
文化財 楼門(町指定有形文化財)
法人番号 7370505000237
テンプレートを表示

大雄寺(だいおうじ)は、宮城県本吉郡南三陸町志津川にある曹洞宗の寺院。山号は松林山。本尊阿弥陀如来

歴史

平安時代末、奥州藤原氏三代藤原秀衡の四男、高衡によって開基したと伝わる。創寺当初は天台宗の寺で元々は中瀬町にあったが、一時衰微して、1537年天文6年)に登米町龍源寺三世、中室存的和尚が曹洞宗に改め、阿弥陀如来を本尊として現在の地に再建した。その後1648年慶安元年)に焼失、1717年享保2年)に再建。「安永風土記書出」が書かれた1774年安永3年)には、「客殿、西向竪十四間横六間半」と記されていることから、大伽藍の様相を呈していた寺院であったことが偲ばれる。現在の本堂は萱葺きとして江戸時代末期に建てられたものを1980年昭和55年)に赤に葺き替えた。南に延びていた参道には樹齢300年はあろうかという84本の並木があったが、東日本大震災津波により枯死、その材は沼田に再建されたあさひ幼稚園に使用されている[1]

指定文化財

鐘楼を含む山門は、1751年宝暦元年)に入谷の山内甚之丞によって寄進されたもので、町内に現存する建物としてはもっとも古いもののひとつで町から有形文化財に指定されている。当寺には他にも、地獄絵や間引き絵馬キリシタン禁制の制札など、藩政時代の貴重な資料が数多く残されている[2]

現地情報

所在地
  • 宮城県本吉郡南三陸町志津川町田尻畑 10-1
交通アクセス
駐車場
  • あり

脚注

  1. ^ 松林山大雄寺(志津川田尻畑)”. 南三陸町. 2019年3月13日閲覧。
  2. ^ 大雄寺の山門・鐘楼(町指定・建造物 志津川田尻畑)”. 南三陸町. 2019年3月13日閲覧。

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大雄寺 (宮城県南三陸町)」の関連用語

大雄寺 (宮城県南三陸町)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大雄寺 (宮城県南三陸町)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの大雄寺 (宮城県南三陸町) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS