大陸会議が起草した手紙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/20 07:54 UTC 版)
「カナダ住民への手紙」の記事における「大陸会議が起草した手紙」の解説
1774年10月21日、耐え難き諸法に対する統一した対応を採るために集められた第一次大陸会議は、ケベック、セントジョン島、ノバスコシア島、ジョージア植民地、東フロリダおよび西フロリダの住民に宛てた手紙を出すことを決定した。これらの植民地は全て大陸会議に代議員を送ってきてはいなかった。トマス・クッシング、リチャード・ヘンリー・リーおよびジョン・ディキンソンの3人からなる委員会がこれら手紙を起草するために形成された。初稿は10月24日に提出され、議論の後に委員会に戻された。10月26日に2稿目が提出され、議論で修正され採択された。これに議長が署名し、ペンシルベニア代議員団の監修でフランス語に翻訳され印刷する決議が成立した。表題は「ケベック植民地住民への手紙」(英語:Letter to the Inhabitants of the Province of Quebec、仏語:Lettre adressée aux habitans de la Province de Quebec, ci-devant le Canada, de la part du Congrès général de l'Amérique Septentrionale, tenu à Philadelphie)とされた。フランス語訳の手紙は18ページの小冊子になった。仏語訳はピエール・ユージェーヌ・デュ・シミティエールが担当した。最終稿の内容はディキンソンの筆跡に大変近いものなので彼が仕上げたとものとされている。
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