大阪戦争後と、その影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/19 08:45 UTC 版)
山口組は第一次頂上作戦以降薄れていた、その強さと威信を再び内外に見せつけることになった。 持病により元々体調の悪かった山本健一は保釈を取り消され、再び収監される身となり、肝臓病を悪化させたことで1982年にこの世を去った。この事は後に山口組の4代目争いを引き起こし、混乱と分裂(山一抗争)を招く遠因となった。 松田組は「松田連合」に改称して組織建て直しを図ったものの、傘下組織の相次ぐ離脱などにより勢力が激減し1983年5月25日に解散した。大日本正義団は波谷組傘下となって存続したが、1990年に山波抗争により波谷組が事実上解体したのを受けて同年12月に解散した。 大阪戦争における松田組への襲撃事件の実行犯及び首謀者の多く(盛力健児・懲役16年、井上邦雄・懲役17年など)は、長期の懲役刑に服した。彼らは山一抗争終結後に出所し、五代目・渡辺芳則組長の元で幹部に抜擢されていった。
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