大聖寺 (山形県高畠町)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 大聖寺 (山形県高畠町)の意味・解説 

大聖寺 (山形県高畠町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/30 03:42 UTC 版)

大聖寺
亀岡文殊本堂(2008年)
所在地 山形県東置賜郡高畠町亀岡41
位置 北緯37度58分48.26秒 東経140度11分24.5秒 / 北緯37.9800722度 東経140.190139度 / 37.9800722; 140.190139座標: 北緯37度58分48.26秒 東経140度11分24.5秒 / 北緯37.9800722度 東経140.190139度 / 37.9800722; 140.190139
山号 松高山
宗派 真言宗智山派
本尊 大日如来
創建年 伝・807年大同2年)
開基 伝・徳一
別称 亀岡文殊
札所等 置賜三十三観音霊場番外
文化財 木造聖観音立像(県指定文化財)
公式サイト https://kameokamonju.jp/
法人番号 9390005006557
大聖寺
大聖寺 (山形県)
テンプレートを表示

大聖寺(だいしょうじ)は、山形県東置賜郡高畠町亀岡にある真言宗智山派の寺院。亀岡文殊(かめおかもんじゅ)の通称で知られる。

山号は松高山。本尊は大日如来。この寺の文殊菩薩は「亀岡文殊(亀岡の文殊)」と呼ばれ、寺院の通称ともなっている。安倍文殊院奈良県桜井市)・切戸文殊京都府宮津市)とともに日本三文殊のひとつに数えられる。

歴史

807年大同2年)勅命により徳一が文殊菩薩を安置したのに始まると伝えられ、古くは文殊寺と号していた。 戦国時代にこの地方を領した伊達政宗の崇敬を受け、天正19年(1591年)彼がこの地を去るとき、岩出山へ共に移る資福寺の古鐘[1]を納めた。関ヶ原の戦いの直後の慶長7年(1602年)、直江兼続は奉納詩歌会を主催して上杉家主従27名[2]が集まり、100首を奉納した。(亀岡百首)直筆短冊のほとんどが当寺に残る。

江戸時代には徳川綱吉の信仰篤く、中納言格と文殊堂領として朱印状が与えられた。文殊堂は1914年大正3年)の再建で、伊東忠太の設計である。学問に霊験ありとして参拝客を集め、初詣・受験シーズンにも賑わう。

文化財

山形県指定文化財

  • 木造聖観音立像

脚注

  1. ^ この鐘は藤原正頼により永仁4年(1296年)に鋳造されたものだという。
  2. ^ 前田利益大国実頼春日元忠岩井信能安田能元ら。http://samidare.jp/toda/box/paneru-2.pdf  高畠町観光協会作成『亀岡百首』パネル展資料 漢詩6人(33首) 和歌21人(67首) 合計27人(100首)

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大聖寺 (山形県高畠町)」の関連用語

大聖寺 (山形県高畠町)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大聖寺 (山形県高畠町)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの大聖寺 (山形県高畠町) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS