大瀬戸丸とは? わかりやすく解説

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大瀬戸丸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/08 14:19 UTC 版)

大瀬戸丸
基本情報
船種 鉄道連絡船
クラス 大瀬戸丸級鉄道連絡船
船籍 大日本帝国
日本
所有者 山陽鉄道
逓信省鉄道局
鉄道院
鉄道省
運輸通信省
運輸省鉄道総局
日本国有鉄道
運用者 山陽鉄道
逓信省鉄道局
鉄道院
鉄道省
運輸通信省
運輸省鉄道総局
日本国有鉄道
建造所 三菱合資会社三菱造船所[1]
母港 下関港/山口県
東京港/東京都
姉妹船 下関丸
船舶番号 6834[2]
信号符字 JKVC[2]
改名 下関丸→弥山丸[2]
経歴
起工 1900年9月2日[1]
進水 1901年2月16日[1]
竣工 1901年5月14日[1]
就航 1901年5月27日
運航終了 1956年8月
要目 (新造時)
総トン数 188.8トン
全長 105.0フィート (32.00 m)
垂線間長 100フィート (30.48 m)[2]
27.0フィート (8.23 m)
型幅 20フィート (6.10 m)[2]
型深さ 8フィート6インチ (2.6 m)[2]
主機関 三連成レシプロ機関 2基[2]
推進器 スクリュープロペラ 2軸
出力 145IHP[2]
航海速力 8.202ノット[2]
旅客定員 335名
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大瀬戸丸(おおせとまる)は、山陽鉄道鉄道院日本国有鉄道関門航路に在籍していた鉄道連絡船。同型船に下関丸がある。

後に弥山丸に改称され、宮島航路で運航された。

概略

関門航路は1898年明治31年)9月1日山陽鉄道子会社の山陽汽船により下関港門司港間の定期航路の運航が開始される。1901年(明治34年)5月27日 山陽本線下関駅開業に合わせて新造された船舶が、下関丸と大瀬戸丸である。

大瀬戸丸は大瀬戸丸型第1船として三菱合資会社三菱造船所の135番船として建造される[1]1900年(明治33年)9月2日に起工[1]し、1901年(明治34年)2月16日に進水[1]。同年5月14日に竣工し[1]5月27日に関門航路に就航する。

1920年大正9年)、大瀬戸丸は特別席設置などの改造を経て宮島航路に転属し、1925年(大正14年)6月5日に弥山丸に改称する。

戦後はGHQ日本商船管理局en:Shipping Control Authority for the Japanese Merchant Marine, SCAJAP)によりSCAJAP-M066の管理番号が付与された[2]

その後も宮島航路で運航されていたが、老朽化が激しくなり、1954年昭和29年)にみやじま丸(初代)が就航すると予備船となり、1956年(昭和31年)8月にに引退した[3]。その後売却されたという。

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 『創業百年の長崎造船所』527ページ
  2. ^ a b c d e f g h i j なつかしい日本の汽船 大瀬戸丸”. 長澤文雄. 2025年7月9日閲覧。
  3. ^ 「宮島航路の弥山丸 国鉄を去る」『交通新聞』交通協力会、1956年7月27日、1面。

参考文献

  • 『創業百年の長崎造船所』三菱造船、1957年



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