大浜の渡し
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/13 09:46 UTC 版)
この橋が架けられる前は「大浜の渡し」と称する渡船2隻を有する私設の渡船で対岸とを結んでいた。場所は廃止直前は現在の橋のやや上流寄りに位置し、縄等を用いた繰船を運行していた。また、それ以前の大正の半ば頃まではさらに上流寄りの現在の円福寺付近に渡し場が存在し、その円福寺の西側に渡し場への道があり、対岸の宝蔵寺に至っていた。冬場である11月から4月にかけての減水期は土橋による仮橋が架設されていた。利用者は皆野村と太田村・小柱村・大渕村・野巻村との往来が主だった。渡船料は明治・大正期は「穀寄せ」と称し、一定量の農作物を納めていた住民は無料で利用できた。この渡し場は橋が完成後もしばらく存続されたが、橋開通の2年後の1937年(昭和12年)に廃止された。
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