大森彦七盛長供養塔
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正徳2年(1712年)田中権内が先祖の主家にあたる大森彦七盛長を敬慕し庄屋田中 治兵衛及び五本松小助、川井忠左衛門の協力により供養塔を建立した。 現在供養塔の塔身は三つに折れた物をセメントで繋いであり碑面には『長盛院殿大森彦七居士神儀』と刻まれていたと言うが現在は風化が激しく読めない。基台の文字も今は判読困難である。その碑文は見られることも少ないと思われるので、ここに記しておく。 正面 長盛院殿大森彦七居士神儀 台座左 伊予浮穴郡砥部庄茲田中氏権内居士蓋為先君故生敬慕之思勧群衆倶戮力 台座裏 彦七昔日就于花園地建塔以奉供養請銘日 超出六合 武勇大振 忠功正信 台座表 声莫不到 楠霊怪化 守剣悩身 終縁仏乗 自他離塵 麻山嗣法沙門 南堂光書 台座右 施主砥部麻生田中氏権内 大庄屋田中治兵衛等 勧化五本松小助川井忠左衛門 正徳二年壬辰臘月吉旦造立焉
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