大学紛争における正常化(1960~70年代)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/02/23 22:03 UTC 版)
「正常化」の記事における「大学紛争における正常化(1960~70年代)」の解説
1960年代末期に全国の大学で全共闘運動の高揚に伴い、学生が大学当局と制度や教育のあり方を巡って対立し、ストライキや集団交渉(団交)のために授業や研究活動が停止する事例が相次いだ(大学紛争)。この異常事態に対して、学生側が大学当局と合意の上和解し、授業や研究活動が再開されることを「正常化」と呼んだ。1969年に制定された大学の運営に関する臨時措置法にも「大学における教育及び研究の正常な実施」(第1条)という表現が見られる。 こうした「正常化」は、全共闘と対立する日本民主青年同盟や学生運動に消極的な学生(いわゆる「ノンポリ学生」)の主導で行われることが多かったため、全共闘や新左翼セクトの側からは「正常化」という言葉は軽蔑・揶揄的なニュアンスで用いられた。 1970年代に入ると学生運動は徐々に下火になり、大部分の大学が「正常化」されたため、この言葉が使用されることは次第になくなった。
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