大井神社 (笠間市)とは? わかりやすく解説

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大井神社 (笠間市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/26 08:43 UTC 版)

大井神社

拝殿
所在地 茨城県笠間市大渕字輪台1652
位置 北緯36度24分4秒 東経140度16分13秒 / 北緯36.40111度 東経140.27028度 / 36.40111; 140.27028 (大井神社 (笠間市))座標: 北緯36度24分4秒 東経140度16分13秒 / 北緯36.40111度 東経140.27028度 / 36.40111; 140.27028 (大井神社 (笠間市))
主祭神 神八井耳命
社格 式内社(小)論社
村社
創建 大同元年(806年
本殿の様式 流造
別名 太郎明神、一の宮明神(四所一宮)
例祭 11月12日
地図
大井神社
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鳥居

大井神社(おおいじんじゃ)は、茨城県笠間市にある神社式内社論社で、旧社格村社

祭神

祭神について

祭神の神八井耳命は、初代神武天皇の皇子で、二代綏靖天皇の兄にあたる人物である。『日本書紀』では、神八井耳命について多臣(多氏)の祖と記され、『古事記』では、意富臣・小子部連・坂合部連・火君・大分君・阿蘇君・筑紫三家連・雀部臣・雀部造・小長谷造・都祁直・伊余国造・科野国造・道奥石城国造・常道仲国造・長狭国造・伊勢船木直・尾張丹羽臣・嶋田臣ら19氏の祖と記される。

このうち、当社付近は常道仲国造が治めた地域とされており、仲国造が祖先にあたる神八井耳命を祀ったものと考えられる。

歴史

創建

社伝によると、大同元年(806年)に勅宣により常陸国那珂郡大井村和体ケ峯に社殿を造営し、大井大明神と称したとする。

概史

延喜式神名帳』では「常陸国那賀郡 大井神社」と記載され、式内社に列した。中世には「太郎明神」と称し、福田、飯田、石寺、寺崎、日沢の五村の総鎮守とされた。また、大井、箱田、石井、来栖の四所のうち、当社をその筆頭として一の宮明神(四所一宮)と崇敬された。

境内

本殿は明和6年(1769年)の造営。御神木は三本の杉が根元で結ばれており、親子杉と呼ばれている。

祭事

参考文献

  • 社頭説明板
  • 由緒書

関連項目

  • 仲国造
  • 大井神社 (茨城県水戸市)- 同じく式内社「那賀郡 大井神社」の論社。



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