大亀伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/24 18:06 UTC 版)
6代藩主・宗衍の廟所にある寿蔵碑の土台となっている大亀は、夜な夜な松江の街を徘徊したといわれる。下の蓮池にある水を飲み、「母岩恋し、久多見恋し…」と、町中を暴れ回ったという。この伝説は八雲の随筆『知られざる日本の面影』で紹介されている。この「母岩、久多見」とはこの大亀の材料となった石材の元岩とその産地のことである。不昧は30キロ西方の出雲市久多見町の山中より堅牢で緑色の美しい久多見石を材料として選ぶが、この岩はかつてクタン大神(出雲大社に功有りとし本殿おにわ内にクタミ社として単独社を設けられ祀られる神)が逗留したとされる神石で、切り出しや運搬には難儀を極めたようでもある。こうした神威を恐れた不昧公はお抱えの絵師に延命地蔵像を描かせ、残った岩に線刻し崇めている。この延命地蔵は不昧にあやかり「親孝行岩」として現在も信仰されている。現在ではこの大亀の頭を撫でると長生きできると言われている。
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