大久保鐵作とは? わかりやすく解説

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大久保鉄作

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/19 00:52 UTC 版)

大久保鉄作

大久保 鉄作(おおくぼ てっさく、嘉永3年11月28日[1]1850年12月31日) – 大正10年(1921年7月5日[2])は、日本新聞記者政治家

秋田市長(第5代)[3]衆議院議員立憲政友会)、秋田県会議長、秋田県会議員などを務めた。

経歴

久保田藩士大久保盛実の長男として中谷地町に生まれる[4]。藩校明徳館[5]漢学を学んだ後、東京に出て1875年明治8年)より朝野新聞の記者となった[6]。帰郷後の1881年(明治14年)に秋田日報を創刊し、1883年(明治16年)に秋田改進党を結成した[6]。同年、秋田県会議員に選ばれ、後に議長に就任した[7]後藤象二郎大同団結運動を唱えると、これに呼応して東北九州連合の必要性を説いて、精力的に活動した[7]

1898年(明治31年)、第6回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。1903年(明治36年)の第8回衆議院議員総選挙でも再選された。

1906年(明治39年)、秋田市長に選出され、1916年(大正5年)まで在任した。墓所は秋田市白馬寺。

家族

  • 父・盛実(實)[4]
  • 妻・ツヤ(安政6年、7月生、今の秋田市出身、下山田正直の長女[4]
    • 長女・ミチ(明一二、三生[4]
    • 二女・ユキ(明一四、八生、佐野庄五郎の長男・皐蔵の妻[4]
    • 三女・テルコ(同一六、一生、村谷有秀の養女となる[4]
    • 長男・健夫(明一七、八生[4]

脚注

  1. ^ 『人事興信録』
  2. ^ 『政治家人名事典』
  3. ^ 歴代市長および副市長(助役)の紹介”. 秋田市. 2024年4月30日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g 人事興信録4版”. 2021年9月21日閲覧。
  5. ^ [1]
  6. ^ a b 『秋田県管内名士列伝』
  7. ^ a b 『明治新立志編』

参考文献




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