大セルジュークの再興
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/05 14:42 UTC 版)
「アフマド・サンジャル」の記事における「大セルジュークの再興」の解説
1119年8月、サンジャルは甥のマフムード2世と敵対する。軍を率いて西進し、イランのサーヴェ(英語版)の戦いでマフムード2世を撃破し、実質的に支配下に置いた。1131年にマフムード2世が亡くなるとサンジャルは翌年に再度イランに出兵し、マフムード2世の弟トゥグリル2世を後継者にしてそれに従わないもう1人の弟であるマスウードをダイナワル(英語版)付近の戦いで撃破した。しかしトゥグリル2世が早世したため、やむなくマスウードを後継者にしている。 とはいえセルジュークの大スルターンとして権威を高めたのは事実で、1130年にはサマルカンドに遠征して同地を征服し、カラハン朝のアフマド・カーディル・ハンを捕虜にして廃し、自らの甥に当たるマフムード2世 (カラハン朝)を即位させた。1136年には傀儡だったガズナ朝のバフラーム・シャー(英語版)が反乱を起こしたが、サンジャルは遠征して再び征服した。1138年には従属しながら独立の気配を見せていたホラズム・シャー朝のアトスズを攻めて支配下に置き、事実上中央アジアの覇権を手にしてセルジューク朝の再興を成し遂げた。
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