夢想 (ドビュッシー)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/07 07:37 UTC 版)
《夢想》(むそう、Rêverie )は、クロード・ドビュッシーが作曲したピアノ独奏曲。《夢》(ゆめ)とも訳される。
概要

1884年、ドビュッシーは22歳でカンタータ《放蕩息子》によってローマ大賞を受賞した。受賞に伴うローマの留学からパリへの帰国の3年後の1890年、《ベルガマスク組曲》に着手した頃に作曲された。まだ作曲家として駆け出しの頃に、経済的な苦境から必要に迫られて書いた曲と伝えられている。曲は1891年に《マズルカ》とともに、手違いにより5ヶ月違いで出版者のシュダンとアメルに二重売りされた[1]。その後ドビュッシーの庇護者となった出版社のジョルジュ・アルトマンの手に渡り、アルトマンの死後は彼の協力者だったウジェーヌ・フロモンに買い取られた[2]。ドビュッシーはこれらの若書きの作品を評価せず、後年《映像》第1集などの傑作を書くようになると、「この手の作品は全然好きではない」「やっつけ仕事で書いた大したことのない粗悪品」と出版社に語っている[3]。作品は1905年にフロモンにより出版された[4]。ドビュッシーは自身の意に反して若い頃の作品を出版するフロモンの態度に不満を募らせ、同年の7月15日、新たにジャック・デュランと専属出版の契約を署名した[5]。
同年に作曲された《ロマンティックなワルツ》や《2つのアラベスク》などの他の小品と比べて、とりわけ平易な楽想とテクスチュアを持っている。
構成
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アンダンティーノ、4分の4拍子。
タイトル通り夢幻的な雰囲気に満ちており、分散和音にのった甘美な旋律による部分とコラール風の中間部から成る。また調性も曖昧である。演奏時間は約4分。
同時期の作品
- 2つのアラベスク
- マズルカ
- スティリア風のタランテラ(舞曲)
- バラード(スラヴ風バラード)
- ロマンティックなワルツ
- 民謡的な主題によるスコットランド行進曲
編曲
ポピュラー音楽での利用
《夢想》をベースにアメリカ合衆国のトランペット奏者・バンドリーダーのラリー・クリントン(en:Larry Clinton)が詞をつけ、歌手を伴って演奏した「My Reverie」が1938年にヒットした。それ以降はビング・クロスビー、サラ・ヴォーン、トニー・ベネット、器楽奏者ではディジー・ガレスピー、グレン・ミラーらによって演奏されている。
使われた作品など
特撮
脚注
参考文献
- フランソワ・ルシュール、笠羽映子訳 『伝記 クロード・ドビュッシー』 音楽之友社、2003年
- 松橋麻利 『ドビュッシー 作曲家・人と作品』 音楽之友社、2007年
- 青柳いづみこ『ドビュッシーとの散歩』中央公論社、2012年
外部リンク
- 夢想の楽譜 - 国際楽譜ライブラリープロジェクト
「夢想 (ドビュッシー)」の例文・使い方・用例・文例
- 彼は世界中を旅したらどうだろうとあれこれ夢想した
- 彼女は女優になることを夢想した。
- 彼は自分がスーパーマンだったらと夢想した。
- 彼女はどうしようもなく無知な夢想家だ。
- 彼はただの夢想家ではない。
- 彼女は一言でいえば夢想家だ。
- 彼は夢想家にすぎない。
- 彼は一言で言えば夢想家なのだ。
- ピアノ・コンクールで私が第1位になるなんて夢想だにしなかった。
- だが実際は、すべての大発見家は夢想家とみなされてきた。
- 白日夢, 夢想, 空想.
- 彼は眠りに陥った[夢想にふけった].
- はっとして夢想から目を覚ます.
- そのコンテストで 1 等賞をとるところを夢想した.
- 白日夢, 夢想.
- 20 年前にだれがこんなことを夢想し得たであろうか.
- 支那の商権を独占せんことを夢想している日本人がある
- 夢想にふけっている
- 夢想にふける
- ここで君に逢おうとは夢想だにしなかった
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