変額保険事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 01:41 UTC 版)
三菱銀行は、バブルからその後にかけて大きく社会的問題となった変額保険を大々的に進めた中心銀行である。当時の取締役の三木繁光が、この提案融資の旗振り役であった。変額保険は、地価が異常な値上がりを示した時代情勢につけ込んで拡大したもので、ハイリスク・ハイリターンな投資商品であった。変額保険に加入した結果、土地を失ったり、自殺を迫られる高齢者が多数発生し、金融機関の商品説明責任を問う損害賠償訴訟が相次いで起こされた。 この訴訟において三菱銀行の被害者は226名に上り、全金融機関で最悪の人数である。銀行としては2番目に多い横浜銀行の44人の5倍強、都市銀行の中では富士銀行の38人の6倍近くと群を抜いている。 この背景には、もとは米国で開発された変額保険をアリコジャパンの元社員が三菱銀行に提案した経緯がある。邦銀で最初にこの商品を知った三菱銀行は、同じく三菱グループの明治生命(現在の明治安田生命保険)と一体となり、販売を押し進めた。事実、明治生命による被害者数は三菱銀行とほぼ同じ224名であり、生保会社では2番目に被害者の多かった生保最大手の日本生命の104人の2倍以上である。 2002年4月23日には東京高等裁判所において、三菱銀行の後身にあたる東京三菱銀行と大同生命らを相手取る訴訟で、7000万円の損害賠償命令が下された。 フジテレビドラマ「ビッグマネー!」における「相続保険」問題の描写は、この三菱銀行がモデルとされる。
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