壬生福正とは? わかりやすく解説

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壬生福正

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/13 10:52 UTC 版)

壬生 福正(みぶ の ふくせい、生没年不詳)は、平安時代初期の官人吉志官位従八位上男衾郡大領

出自

壬生吉志氏は、推古天皇15年(607年)に設置された壬生部の管理を行っていた渡来系氏族[1][2]

経歴

武蔵国男衾郡榎津郷の戸主。仁明朝承和8年(841年)才に乏しい息子二人の生涯に渡る税(調・中男作物・雑徭)を前納することを郡衙に願い出る。この嘆願状は国衙から民部省を経て太政官へと送られ、太政官は「例なしといえど公に益あり」と判断し、許可する旨の太政官符を下した。なお、雑徭については別途徴発する旨の但し書きが付けられた[3]

  • 壬生継成(19歳) 調庸料:布40端2丈1尺、中男作物:紙80張
  • 壬生真成(13歳) 調庸料:布40端2丈1尺、中男作物:紙160張

承和2年(835年)神火により武蔵国分寺の七層塔が1基焼失してしまい、放置されていた。承和12年(845年)福正は塔の再建を申し出て許可されている[4]

この2つの行為について、福正が従五位下位階を欲して行ったとの推測がある[5]

脚注

  1. ^ 太田[1963: 5889]
  2. ^ 佐伯[1994: 436]
  3. ^ 『類聚三代格』承和8年5月太政官符
  4. ^ 『続日本後記』承和12年3月23日条
  5. ^ 北山茂夫 1973, p. 154.

参考文献




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