塩谷眞康
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塩谷 眞康(しおのや しんこう、文久3年12月15日(1864年1月23日) - 大正7年(1918年)3月24日[1])は、日本の政治家、教育家。前名は、塩谷五十足(しおのや いそく)。
生涯
上野国群馬郡金島村(現・群馬県渋川市)出身。群馬師範学校(現・群馬大学)を経て、慶應義塾を1888年に卒業。1890年、群馬県会議員に当選。常置委員となる。1894年、県議選で2度目の当選を果たし、日清戦争が勃発すると第2軍に従軍。1898年、衆議院選挙に立候補し当選。1期務めた。また、篤志家としても知られ、春山館という施設を作り、多くの若者を育成した。
脚注
- ^ 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』衆議院、1990年、p.306。
参考文献
- 『衆議院議員列伝』山崎謙編、衆議院議員列伝発行所、1901年。
- 「鹽谷五十足」三田商業研究会 編『慶應義塾出身名流列伝』実業之世界社、1909年、859-860頁 。(近代デジタルライブラリー)
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