塩崎の松平家を継ぐ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 04:17 UTC 版)
「松平忠明 (信濃守)」の記事における「塩崎の松平家を継ぐ」の解説
天明3年(1783年)9月10日、忠明(当時の名は中川大炊久長)を5000石の大身旗本松平忠常の婿養子にする申請が認められる。松平忠常の家は、上田藩主家(藤井松平家)の分家で、信濃国更級郡塩崎村(現在の長野市篠ノ井塩崎付近)に陣屋を構えていた。 天明4年(1784年)2月29日、正式に松平忠常の養子となり、名を忠明に改める。 天明4年(1784年)12月22日、将軍徳川家治に御目見。養父の隠居に伴い、天明5年(1785年)8月11日に家督を継承した。寛政4年(1792年)6月7日、寄合肝煎となる。寛政6年(1794年)7月16日、小姓組番頭となり、同年12月16日に従五位下信濃守に叙任。寛政9年(1797年)9月16日に西の丸書院番頭に遷る。寛政10年(1798年)9月20日には本丸の書院番頭となる。
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