坂東の大力武士
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/20 10:04 UTC 版)
大力(強力)を誇った武士として坂東にその名を知られており、そのおかげで助かった経歴を持つ。建保元年(1213年)、和田義盛が北条氏打倒の為、挙兵した際(和田合戦)、親家は和田氏軍に味方して出陣し、幕府軍に捕らえられた(将軍家に親家の力芸を観させるため、そのまま相模国鎌倉に送られた)。鼎(かなえ)を持ち上げ、石をも砕くと言う親家の怪力話を聞いた三代将軍源実朝が親家を呼び、その怪力を試すべく、大鹿の角を差し出し、これを折る様に指示した。親家はこれを2本同時に折って見せ、実朝と列座していた一同を感心させ、その罪を許されて、紀伊国の領地を与えられた。親家はこれに深い恩義を感じ、それ以後は忠臣として活動し続け、その子孫も忠義を尽くしたと『吾妻鑑』に載る(承久の乱で子息達の活躍と討死になどが記されている)。
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