坂本重治とは? わかりやすく解説

坂本重治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 15:20 UTC 版)

坂本 重治(さかもと しげはる)は、江戸時代前期の旗本大名大目付寺社奉行などの要職を歴任し、徳川綱吉のもとで一挙に7800石の加増を受けて相模深見藩主となったが、その7年後に加増分が没収され、旗本身分に戻された。


注釈

  1. ^ 『寛政譜』によれば、坂本家は戦国期に甲斐武田家に仕えていた家で、坂本貞次貞吉親子は武田家滅亡後に家康に仕え、相模国高座郡に370石の知行地を与えられた。貞吉は知行地である深見の仏導寺に葬られた[1]。貞吉の子が重安である。
  2. ^ 加増分として上野国勢多郡群馬郡内で7800石、残りは相模国高座郡常陸国信太郡鹿島郡、上野国山田郡・勢多郡、下野国那須郡内で2200石。

出典

  1. ^ a b c d e f g h 『寛政重修諸家譜』巻第百三十一、国民図書版『寛政重修諸家譜 第一輯』p.794、『新訂寛政重修諸家譜 第三』p.80。
  2. ^ 『寛政重修諸家譜』巻第百三十一、国民図書版『寛政重修諸家譜 第一輯』p.797、『新訂寛政重修諸家譜 第三』p.83。
  3. ^ 『寛政重修諸家譜』巻第百三十一、国民図書版『寛政重修諸家譜 第一輯』pp.794-795、『新訂寛政重修諸家譜 第三』pp.80-81。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『寛政重修諸家譜』巻第百三十一、国民図書版『寛政重修諸家譜 第一輯』p.795、『新訂寛政重修諸家譜 第三』p.81。
  5. ^ 第三章 奈良町の盛衰 第一節 東大寺復興と奈良の賑わい」『奈良市史 通史三』、奈良市、2021年8月29日閲覧。
  6. ^ a b c d 深見神社 (ふかみじんじゃ)”. 神奈川県神社庁. 2021年8月28日閲覧。
  7. ^ a b 「やまとカタログ~文化財」(大和市勢要覧2009 P.32~33)”. 大和市. 2021年8月28日閲覧。
  8. ^ 深見神社社号標”. 大和市文化芸術情報サイト 大和文化文花. 大和市. 2021年8月28日閲覧。


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