坂本大造とは? わかりやすく解説

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坂本大造

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/27 23:40 UTC 版)

坂本大造

坂本 大造(さかもと だいぞう、1894年明治27年)12月8日[1] - 1964年昭和39年)7月29日[1][2])は、大正から昭和期の造船技術者政治家華族貴族院男爵議員

経歴

本籍・長野県[2]海軍士官坂本俊篤の長男として生まれる[1][3][4]。父の死去に伴い、1941年(昭和16年)6月2日、男爵を襲爵した[1][3][5]

1916年(大正5年)早稲田大学理工科[注 1]を卒業した[2][3]。同年、横浜船渠に入社[2]。その後、石川島造船所に移り、工作部鍛錬工場長、鋳鍛部部長代理などを務めた[2]

1946年(昭和21年)6月29日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[6][7]公正会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]

親族

  • 母:こう(五味吉房、四女)[1][3]
  • 妻:冨士子(原鎗三、二女)[1]
  • 男子:俊造[1]
  • 女子:松子(田中敬夫人)[1]

脚注

注釈

  1. ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』72頁では理工学部。

出典

  1. ^ a b c d e f g h 『平成新修旧華族家系大成 上巻』655頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』72頁。
  3. ^ a b c d 『大衆人事録 第14版 東京篇』455頁。
  4. ^ 『華族畫報 下』804頁。
  5. ^ 『官報』第4319号、昭和16年6月3日。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、57頁。
  7. ^ 『官報』第5846号、昭和21年7月11日。

参考文献

  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 東京篇』1942年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
  • 杉謙二編『華族畫報 下』吉川弘文館、2011年(華族画報社大正2年刊の複製)。


日本の爵位
先代
坂本俊篤
男爵
坂本(俊篤)家初代
1941年 - 1947年
次代
華族制度廃止



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