在日韓国・朝鮮人集団移転問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/08 02:31 UTC 版)
「中村 (伊丹市)」の記事における「在日韓国・朝鮮人集団移転問題」の解説
1935年(昭和10年)に開始された、大阪第二飛行場の建設工事に際して、建設に従事した朝鮮半島出身者の飯場が、空港の北西に設けられ、戦後も多くの在日韓国・朝鮮人が当地に留まり、集落を形成していた。当該地区は大阪国際空港の国有地に当たり、日本国政府は「不法占拠である」として、立ち退きを要求していたが、2001年(平成13年)より伊丹市および兵庫県、国土交通省が住民と協議を行い、近接する桑津4丁目の市営住宅へ全員が転居することで合意が成立。2009年(平成21年)に全世帯の移転が完了し、跡地に記念碑が建立された。
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