国内選考とユーロビジョン・ソング・コンテスト
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「1944 (曲)」の記事における「国内選考とユーロビジョン・ソング・コンテスト」の解説
前年、ウクライナは費用の捻出が困難であるとして、ユーロビジョン・ソング・コンテスト2015から撤退した。2016年に大会に戻ることが決定された後、ウクライナの代表者を決定するための選考プロセスが開始し、ウクライナ国営放送と民間のSTB両放送局からのリソースが採用された。ジャマラは18人の参加者の1つであり、2016年2月6日の一次選考を無事通過し、決勝に進んだ。2月21日の決勝では、審査票で2番目、電話投票で1番目(382,000以上の電話投票で総数の37.77%を占める)となり、ザ・ハードキスの『Helpless』とは同着になった。しかし、電話投票がタイブレーカーとして機能したため、ジャマラが勝者として発表された。 ジャマラは、ユーロビジョン・ソング・コンテスト2016の2つ目の準決勝の後半に出場した。この出場により、『1944』はユーロビジョン・ソング・コンテストで、クリミア・タタール語の歌詞を含む最初の作品となった。決勝でこの歌は電話投票と審査員票で共に2番目に高い点数を受けたが、総点数は1位となり、当年度の優勝者となった。
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