四社神社 (横芝光町)とは? わかりやすく解説

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四社神社 (横芝光町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/17 04:50 UTC 版)

四社神社
所在地 千葉県山武郡横芝光町屋形921
位置 北緯35度37分34秒 東経140度31分10秒 / 北緯35.62611度 東経140.51944度 / 35.62611; 140.51944 (四社神社 (横芝光町))座標: 北緯35度37分34秒 東経140度31分10秒 / 北緯35.62611度 東経140.51944度 / 35.62611; 140.51944 (四社神社 (横芝光町))
主祭神 建速須佐之男命・別雷命・天児屋根命・菅原道真
社格 郷社
創建 延喜元年(901年
例祭 9月29日
主な神事 潮祭り(湯立神楽、1月)
地図
四社神社
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四社神社(ししゃじんじゃ)は、千葉県山武郡横芝光町屋形(上総国武射郡)にある神社。旧社格郷社

建速須佐之男命別雷命天児屋根命菅原道真公を祀る。

歴史

寛平元年(889年臣籍降下し上総介に任じられた高望王が、昌泰元年(898年)9月上総国武射郡に屋形を造営し本拠とし、延喜元年9月29日901年11月12日)にはその屋形の鬼門に当たる所に当社を建立、また延喜2年(902年)5月には寺院を建立したといわれている。天慶2年(939年承平天慶の乱に際して朝廷軍が戦勝を祈願したときから「四社大明神」と称されていた。

天正14年(1586年)5月には北条氏の臣で坂田城主の井田胤徳里見勢の侵攻を退けた栗山川合戦、天正18年(1590年)3月には豊臣秀吉小田原征伐に伴う蓮沼合戦があり、両戦の兵火に罹って、近くにあった無量寺とともに灰尽に帰した。

現存する本殿は、元禄元年(1688年)11月に造営され、宝暦3年(1753年)に改修されたものであるが、村方の他九十九里浦中や江戸干鰯問屋あるいは造船家にまで寄付を求め、造営と改修の費用を捻出したといわれている。

享保4年(1719年神祇官卜部兼敬奉幣があり、もと正一位四社大明神と称したが、明治2年(1869年)に「四社神社」と改号、明治6年(1873年)郷社に列した。

行事

古来より、1月18日(現在は、1月の第3日曜日)の祭礼に、「潮祭り」と呼ばれる里神楽が奉納される。大釜に沖合いから運んだ海水を沸かし郷中安全と豊漁を祈願する湯立神楽である。

交通

参考文献

  • 『千葉県の地名(日本歴史地名大系 12)』平凡社、1996年。ISBN 978-4-582-49012-1、721ページ
  • 『全国神社名鑑 上巻』全国神社名鑑刊行会史学センター、昭和52年。269ページ
  • 『山武郡郷土誌』千葉県山武郡教育会、大正5年初版、昭和62年 復刻版発行、臨川書店ISBN 4-653-01582-1、167ページ

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