茂山千作 (4世)とは? わかりやすく解説

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茂山千作 (4世)

(四世茂山千作 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/26 15:38 UTC 版)

しげやま せんさく
茂山 千作
(四世)
本名 茂山 七五三(しげやま しめ)
別名義 十二世 茂山 千五郎
(じゅうにせい しげやま せんごろう)
生年月日 (1919-12-28) 1919年12月28日
没年月日 (2013-05-23) 2013年5月23日(93歳没)
出身地 大日本帝国京都府(現在の 日本・京都府)
職業 狂言方大蔵流能楽師
活動期間 1924年- 2013年
活動内容 1924年、以呂波にて初舞台 
1966年、当主名の「茂山千五郎」を十二世として襲名する[1]
1983年、芸術選奨文部大臣賞受賞、京都市文化功労者。
1985年、紫綬褒章受章
1989年、人間国宝に認定される[1]
1991年、日本芸術院会員となり、勲四等旭日小綬章受章[2]。1994年、四世茂山千作(隠居名)を襲名。同時に長男の正義が当主名の「茂山千五郎」を十三世として継承[1]
1997年、京都府文化賞特別功労賞受賞
1998年、NHK放送文化賞受賞。
2000年、文化功労者
2001年、朝日賞受賞。
2007年、狂言界で初の文化勲章を受章
配偶者 先妻・茂山幸子(1962年に死別)
後妻・茂山恵子(1963年に再婚)
著名な家族 父:三世茂山千作(人間国宝・日本芸術院会員)
長男:五世茂山千作
次男:二世茂山七五三(人間国宝)
孫:十四世茂山千五郎
孫:茂山茂
孫:茂山宗彦
孫:茂山逸平
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四世 茂山 千作(よんせい しげやま せんさく、1919年大正8年〉12月28日 [1]- 2013年平成25年〉5月23日[3])は、狂言大蔵流狂言師茂山千五郎家十二世当主(1966年 - 1994年)、人間国宝重要無形文化財「狂言」各個認定保持者)、文化勲章受章者、文化功労者日本芸術院会員。同じく、人間国宝(重要無形文化財「狂言」各個認定保持者)の二世茂山七五三は次男。

経歴

本名は茂山 七五三(しげやま しめ)[1]。1919年に父・茂山真一(十一世千五郎、三世千作)と金剛流能楽師の娘であった母・スガの長男として生まれる[4][5]。正月に向けて七五三縄を飾る12月28日に誕生したことに因み、祖母から[要出典]七五三と名付けられた[6]

1924年、「以呂波」で初舞台を踏む[1]。1923年生まれの弟の政次(二世茂山千之丞)とは幼少時から共演し、「豆狂言師コンビ」[7]と好評を博す[8]

1926年に京都市立春日小学校に入学[4]、卒業後の1932年には京都市立美術工芸学校絵画科に入学するが、3年で中退した後は、狂言や謡・囃子に打ち込む[9]。1934年に「三番三」、1940年に「釣狐」を披く[4]

戦時中召集され、1941年に舞鶴海兵団に入団し、「利根」に乗艦し真珠湾攻撃南方作戦に従事するが[10]、翌年6月に下艦し人事部に移り、海軍人事部京都出張所に転勤[4]、京都で終戦を迎える。戦後舞台に復帰[1]。戦後の苦難の時代には、弟の千之丞とともに名古屋以西の各地の学校を巡回し、授業の一環として狂言を上演して普及に努めた[7][11][12]

私生活では1944年に親戚である西陣の帯問屋の長女西村幸子と結婚[13]、1945年に長男の正義(五世千作)、1947年に次男の眞吾(二世七五三)が誕生している[4]。しかし、幸子は1962年、病気の手術後に死去[14]、死別の翌年の1963年に妹の高校時代の同級生であった高田恵子と結婚し[15]、1964年に三男の千三郎が誕生する[16]

1954年の狂言様式による創作劇「東は東」(岩田豊雄作、武智鉄二演出)[17]に、唐人伍雲拙の役で出演[18]。1956年にはテレビドラマ「ひょう六とそばの花」[19]に出演[20]するなど、狂言以外の舞台やドラマでも活動する。1964年1月の日生劇場の寿大歌舞伎へ千之丞とともに「勧進帳」番卒役等で出演[21]。前月には出演に反対する能楽協会から退会勧告を受けたが、その後の狂言師らの多様な演劇活動への流れを作った[22]

1966年1月15日、父の真一の「千作」襲名に伴い、当主名の「茂山千五郎」を十二世として襲名する[1]。襲名披露の狂言は「菓争(このみあらそい)」で、200年ぶりの復曲だった[16]。1972年には、初孫にあたる正義の長男正邦(十四世千五郎)が誕生。

1981年、「素袍落」の成果に対し、芸術祭の能楽部門大賞[23]。1983年、芸術選奨文部大臣賞受賞、京都市文化功労者。1985年、紫綬褒章受章。

1989年5月6日、父の三世千作(1986年死去)に続き、親子二代で人間国宝に認定される[1][24]

1991年より日本芸術院会員、勲四等旭日小綬章受章[25]

1994年7月18日、四世茂山千作(隠居名)を襲名し、同時に長男の正義が当主名の「茂山千五郎」を十三世として継承[1]

1997年、京都府文化賞特別功労賞受賞。1998年、NHK放送文化賞受賞。2000年、文化功労者顕彰、朝日賞受賞。

晩年に至っても精力的に活動し、2006年からは弟の千之丞と共に兄弟会を開催、千之丞が2010年に死去するまで継続した[7][26]

2007年、狂言界で初の文化勲章を受章[7]、京都市名誉市民[3]

2009年には曾孫(正邦の息子)の竜正、虎真兄弟との四世代共演を果たした[27]

2013年5月23日、肺がんのため京都市の自宅にて死去した。満93歳没[7]。没後従三位追贈[要出典]

芸風

四世山本東次郎による弔辞において「天衣無縫、自由闊達。天性の喜劇役者だった」[28]と評されたように、伝統芸の基礎に立脚した自由自在の境地で知られた[29][30]

幼少期から共に活動してきた弟の二世千之丞は、千作の芸は40歳頃からキャラクターがはっきりしてきて「理屈を離れて面白く」なり、後年言われるような「出てくるだけでも面白い」狂言になったと晩年に語っている[31]。また、野村万作には30代半ばで既に洒脱な芸だったと回顧されている[32]

独特の低くややしわがれた声は、30歳頃、学校回りの狂言で酷使した喉にポリープができて声をつぶしてしまったことに起因するが、元の声は弟の千之丞よりも少し太い美声であった[33][34]

祖父の二世千作、父の三世千作に師事しつつも、他家の初世善竹彌五郎の影響[35]等を受けながら、芸を重ねた。仕舞と謡は初世金剛巌に習い[36]、笛方森田流の杉市太郎に笛を習い、声が出ない数年間の間には笛方への転向を考えたこともあった[37]

家族

子に、一人目の妻・幸子との間の長男・正義(五世千作)、次男・眞吾(二世七五三、人間国宝)[38]と、幸子との死別後再婚した妻・恵子との三男・千三郎(2020年末まで千五郎家で活動し、現在は独立[39][4]

孫に十四世茂山千五郎(茂山正邦)、茂山茂茂山宗彦茂山逸平(何れも幸子の孫)。

曾孫に茂山竜正、茂山虎真、茂山鳳仁、茂山蓮、茂山慶和。この他にも女性の曾孫(茂の娘)が2人いる(何れも幸子の曾孫)。

甥に茂山あきら。姪孫に 三世茂山千之丞(茂山童司)

弟子

弟子には田賀屋夙生・松本薫網谷正美らがいる。

著書

  • 『千五郎狂言咄』(講談社、1983年)
  • 『京都の狂言師』(世界文化社、2004年)

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j 北口真理子 編『人間国宝 狂言師 茂山千作 : 千五郎時代の舞台と素顔』柳原書店、1994年、170-175頁。ISBN 4840930120 
  2. ^ 「平成3年秋の叙勲 勲四等旭日小綬章を受けた狂言師・茂山千五郎さん」『読売新聞』1991年11月3日朝刊
  3. ^ a b 京都市名誉市民 茂山七五山(しげやま しめ)氏[四世 茂山千作]”. 京都市 (2019年2月20日). 2023年1月5日閲覧。
  4. ^ a b c d e f 野村,土屋 2003, pp. 285–290
  5. ^ 近代日本の文化人輩出過程に関する考察(1)― 大正期生まれ伝統芸能家における家庭環境と学校教育の影響多賀太、關西大學文學論集 69 (4), 137-161, 2020
  6. ^ 宮辻 2013, p. 10
  7. ^ a b c d e 茂山千作さん死去 狂言師初の文化勲章受章”. 日本経済新聞 (2013年5月23日). 2024年4月20日閲覧。
  8. ^ 宮辻 2013, pp. 14–18
  9. ^ 宮辻 2013, pp. 41–42, 52
  10. ^ 宮辻 2013, pp. 72–73, 77–79
  11. ^ 茂山千作”. NHKアーカイブス. 2024年4月20日閲覧。
  12. ^ 宮辻 2013, pp. 140, 144
  13. ^ 宮辻 2013, p. 83
  14. ^ 宮辻 2013, pp. 177–178
  15. ^ 宮辻 2013, pp. 182
  16. ^ a b 宮辻 2013, pp. 194
  17. ^ 舞台中継―新橋演舞場― 狂言様式に依る創作劇「東は東」 - NHKクロニクル
  18. ^ 宮辻 2013, pp. 165, 170–172
  19. ^ 特集ドラマ ひょう六とそばの花”. NHK. 2024年4月20日閲覧。
  20. ^ 宮辻 2013, p. 199
  21. ^ 日生劇場 1964年01月”. 歌舞伎公演データベース. 2024年4月20日閲覧。
  22. ^ 宮辻 2013, p. 187-192
  23. ^ 文化庁芸術祭賞受賞一覧 昭和51年度(第31回)~昭和60年度(第40回)”. 2024年4月20日閲覧。
  24. ^ 2023年には次男の眞吾(二世七五三)も人間国宝に認定され親子三代での認定となった。
  25. ^ 「平成3年秋の叙勲 勲四等旭日小綬章を受けた狂言師・茂山千五郎さん」『読売新聞』1991年11月3日朝刊
  26. ^ 千作・千之丞の会 第5回”. 森崎事務所. 2024年4月20日閲覧。
  27. ^ 狂言・茂山家、4世代そろい踏み 年齢差なんと85歳”. 朝日新聞 (2009年6月13日). 2024年4月20日閲覧。
  28. ^ 人間国宝・茂山千作さんの葬儀/狂言界の至宝と最後の別れ”. 四国新聞社 (2013年5月27日). 2024年4月20日閲覧。
  29. ^ 油谷光雄 編『狂言ハンドブック』(改訂版)三省堂、2000年11月、91-92頁。 
  30. ^ 羽田昶『昭和の能楽名人列伝』淡交社、2017年3月、264頁。 ISBN 9784473041715 
  31. ^ 宮辻 2013, pp. 257–262
  32. ^ 天衣無縫の芸風 狂言師 茂山千作さん死去(27日、京都市左京区・金戒光明寺)”. 産経新聞社 (2013年5月28日). 2024年4月20日閲覧。
  33. ^ 宮辻 2013, pp. 152–156
  34. ^ 野村,土屋 2003, pp. 28–30
  35. ^ 野村,土屋 2003, pp. 43
  36. ^ 野村,土屋 2003, pp. 26–27
  37. ^ 宮辻 2013, pp. 153–155
  38. ^ “サラリーマンも経験した異色の経歴 人間国宝に狂言師・茂山七五三さん”. 産経新聞. (2023年7月21日). https://www.sankei.com/article/20230721-72COGIREERKN5IIGDQLGTIBASI/ 2023年7月22日閲覧。 
  39. ^ 本年末をもって千三郎が当家を離れます。”. お豆腐狂言 茂山千五郎家 (2020年12月17日). 2024年4月28日閲覧。

参考文献

  • 野村萬斎、土屋恵一郎 編『狂言三人三様 茂山千作の巻』岩波書店、2003年。 
  • 茂山千作、茂山千之丞 著、宮辻政夫 編『狂言兄弟 千作・千之丞の八十七年』毎日新聞社、2013年5月30日。 

関連項目

外部リンク

先代
三世茂山千作(十一世千五郎)
狂言方大蔵流茂山千五郎家当主
第12代:1966年-1994年
次代
五世茂山千作(十三世千五郎)



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