営農展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 17:55 UTC 版)
干拓された1300ヘクタールのうち、集落や道路などを除く1023ヘクタールが農地として使用されている。大中湖干拓の主目的は他の干拓地とは異なり、食糧対策や失業者対策ではなく専業農家の育成にあった。農業近代化モデル地域という意味合いがあり、入植当初から近代的な稲作の技術指導や大型機械の導入、カントリーエレベーターの建設などが行われた。他県出身者21戸を含む216戸の入植者には農地4.0ヘクタールと宅地0.1ヘクタールが与えられ、北端・西端・南端の3集落に振り分けられた。1960年代はほぼすべての入植者が稲作経営を行い、肥沃な土壌で水稲の豊作が続いた。1970年に本格的な米の生産調整が開始されると、肉用牛の肥育やスイカの生産が導入され、スイカは「大中スイカ」という銘柄でブランド化されたが、収益性の低さから生産面積は減少していき、現在では個人的な生産がみられるのみである。肉牛は「近江大中牛」としてブランド化され、いわゆる近江牛とは異なる流通がなされている。1970年代末にはストレリチアなどの花卉栽培や、キャベツなどの露地野菜栽培も導入され、水稲の作付面積は減少していった。
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