商業地化と小学校移転
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 09:24 UTC 版)
法務施設が相次いで移転するなか、さらにこれに隣接する娯楽施設を建設し、この周辺地域を一大商業地化・娯楽施設化しようという動きが強くなって、結局、連尺小学校も移転の対象となった。小学校の移転には学区内から根強い反発し、1962年(昭和37年)11月に小学校移転反対派による850名の請願書が市議会に提出された。市と市議会は地域発展を理由に、学区の反対を押し切り、1966年(昭和41年)に連尺小学校を現在の城北町の地と元々岡崎市立広幡小学校の学区であった。 しかし、実際に娯楽施設として活用されたのは小学校跡地のすべてではなかった。1968年(昭和43年)6月27日、跡地約15000平方メートルのうち南側3分の2の土地に岡崎スポーツガーデンが建設された。岡崎スポーツガーデンは夏にプール、冬にスケートリンクとなる娯楽施設であり、ボウリング場も併設された。しかし、後にボウリング場は市営駐車場へと姿を替えた。北側の残り3分の1の土地には、岡崎郵便局や岡崎市城北保育園が設置された。
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