呉の経済
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 21:58 UTC 版)
呉の税制については様々な議論があるが、戦乱からの再建の中で布帛納の戸調制に切り替えた魏や北伐を行うための財政制度の構築を目指した蜀と異なり、戦乱の影響が少なく、銅山などを抱えていた呉は後漢の税制(銭納の重視)や貨幣経済の影響を一番強く残していたとみられている。 呉の皇帝の孫権は236年に五銖銭500枚、238年に五銖銭1000枚の価値を持つ貨幣を発行し、貨幣経済の充実に努めた。呉の貨幣は晋に降伏した後も用いられたらしく、東晋では呉の貨幣が流通して魏や晋の貨幣と混用されて五銖銭1枚の価値をもって流通していた(『晋書』食貨志)。
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