名古屋第一工業高等学校設立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/26 22:57 UTC 版)
「三浦幸平」の記事における「名古屋第一工業高等学校設立」の解説
常磐高校は普通科のみで発足し、後に商業科と専攻科を設けた。しかし、当時の時代の流れでは全日制の普通科や商業科が不振だったこともあり、工業課程の学科設置を視野に入れる日々が続いていたという。そこに1954年9月、学校法人桜花学園から中部高等電波学校を譲り受け、常磐学校に電気通信学科を設置した。昼間部約250人、夜間部約80人の編入生を受け入れて無線技術士、無線通信士の養成を始めた。この合併を皮切りに工業高校への切り替えを行っていくこととなる。1957年4月に不振の商業科を廃止し、精密機械に関する技術者の養成を目的とした機械科を新設した。そして1957年12月8日の三浦学園創立19周年の記念日に常磐高等学校から名古屋第一工業高等学校に改名し、学校の基礎を固め充実させるために入部彌一、中川八太郎を1958年11月に迎えた。
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