吉良氏の分裂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/20 04:46 UTC 版)
足利一門中の名門である吉良氏ではあるが、その名門意識からか、観応の擾乱では本宗家の尊氏と敵対するに至った。しかし正平11年(1356年)に父の満義が没すると、天下の情勢を見極めた被官の一部により、9歳の弟・尊義を奉じて尊氏派に転じ、新たに東条吉良氏(下吉良)として独立することになった。これを認めない満貞は以降東条勢と合戦に及ぶが、その後、両家の和談が成立し、尊義は東条吉良氏として認められた。だが東条家成立の際の因縁は残り、室町時代を通じて両吉良氏は対立・抗争を繰り返して自らその勢力を弱める始末となった。
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