吉永太平の改良
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 02:33 UTC 版)
降って安政年間(1854~59年頃)に入り、同じく福島に住む吉永太平(よしながたへい)という者が意匠を凝らして盆提灯の前途に一大革命を起こした。提灯の骨に使う竹を細く裂いて一本に繋げ螺旋状に巻く「一条螺旋式」を考案し、また典具帖紙に類似した薄紙を用いて仄か(ほのか)に内部が透けるようにしたのである。そしてこれに山水・草木・花鳥等の幽邃(ゆうすい)なる色彩文画を描画したため品質が向上し加えて雅致(がち)風流に富んでいた。涼み提灯として九州全土に大いに歓迎され、盛夏の折節に軒下や楼上等にかけて納涼用として利用された。 しかしながらこの提灯は描き絵に手間と費用を要するため、大量生産に不向きであり、広く一般の需要に応じることは出来なかった。
※この「吉永太平の改良」の解説は、「八女提灯」の解説の一部です。
「吉永太平の改良」を含む「八女提灯」の記事については、「八女提灯」の概要を参照ください。
- 吉永太平の改良のページへのリンク