吉保の学芸と柳沢氏の文化
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「柳沢吉保」の記事における「吉保の学芸と柳沢氏の文化」の解説
吉保は和歌に親しみ、北村季吟から古今伝授を受けた。吉保自身は数々の詩歌を残してるほか、黄檗宗に帰依して悦峰道章を招き、甲斐に永慶寺を創建している(永慶寺は後に大和郡山に移転)。 また、吉保自身の好学や黄檗宗への帰依が関係して、柳沢家では大名文化が興隆した。黄檗宗の文化は文人画(南画)の山水図・人物画へ影響し、柳沢家家老・柳沢保格(曽祢貞刻)の子である画家・柳沢淇園の活動に及ぶ。淇園は悦峯や服部南郭の画、細井広沢の書を学び、文人画を大成する人物となった。淇園の師のうち服部南郭は京都出身の画家・儒者で、17歳の頃に柳沢吉保に画才と和歌の才を認められ、柳沢家に仕官する。さらに柳沢家を介して荻生徂徠に学び、その高弟となっていた人物である。
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