合川町成立まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 00:48 UTC 版)
戦後、昭和の大合併で同規模だった4か村の合併が県内でいち早く進められ、1953年には下大野村長畠山義郎の下で合併協議会が発足される。しかしながら、合併後の役所の位置をめぐって、「地理的にも中心であり、市街地に銀行支店や登記出張所、郵便局もある」落合村と、「阿仁合線羽後上大野駅(現合川駅)があり、物資集積地でもあり、未開墾地大野台にも近接する」上大野村の間で紛糾してしまう。 両村の中間にあった下大野村は「役場の位置は上大野駅前とする、上大野・落合の中学校を統合して落合に中学校を新築する、落合村の中心地李岱から上大野駅まで直線道路を敷く」という妥協案も示すも、受け入れられなかった。また、秋田県側もまた「中心市街地の形成に難がある」として反対した。 この問題点を抱えたまま1955年に合併することになる。その後新町役場は、合川駅での大火後の1956年11月に合川駅(同年4月に羽後上大野駅より改称)前に決定し、1957年6月に竣工した。
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