史上屈指の「投手の年」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 01:23 UTC 版)
「1968年のメジャーリーグベースボール」の記事における「史上屈指の「投手の年」」の解説
アメリカンリーグで打率3割を超えたのは首位打者のヤストレムスキー唯一人で、打率.301は1905年にクリーブランド・ナップス(のちのガーディアンズ)のエルマー・フリックが記録したMLBにおける首位打者の最低打率.308を更新し、現在も破られていない。ナショナルリーグも3割打者は5人だけだった。 ギブソンの防御率1.12は、1880年のティム・キーフ(トロイ・トロージャンズ)の0.86、1914年のダッチ・レナード(レッドソックス)の0.96、1906年のモーデカイ・ブラウン(シカゴ・カブス)の1.04に次ぐもので、ライブボール時代といわれる1920年以降に限れば歴代最高記録である。インディアンスのサム・マクダウェルは15勝に留まるものの、283奪三振で最多奪三振。防御率も1.81だったが、最優秀防御率はチームメイトのルイス・ティアント(21勝・264奪三振)が、1920年以降ではリーグ最高となる1.60を記録して獲得した。 ロサンゼルス・ドジャースのドン・ドライスデールは、6試合連続完封を含む58.2イニング連続無失点を達成し、1913年のウォルター・ジョンソンの55.2イニングを55年ぶりに更新してメジャー新記録を樹立した。20年後の1988年に、ドジャースの後輩オーレル・ハーシュハイザーが59イニング連続無失点を達成して更新されたが、現在でも史上2位の記録である。この他にもギブソンが47イニング連続、ティアントが42イニング連続無失点を記録している。この年は以上のような投高打低の記録に象徴される史上屈指の「投手の年」であった。そしてこれを契機に翌年ストライクゾーンの見直し、ピッチャーズマウンドの高さ変更等の対策が講じられることとなった。
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