可燃性ガス警報装置の開発と設置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 14:14 UTC 版)
「渡島丸 (2代)」の記事における「可燃性ガス警報装置の開発と設置」の解説
しかし、青函連絡船では、その後も大事には至らない機関室発煙トラブルは続き、また1973年(昭和48年)5月19日には四国中央フェリーボートのカーフェリー「せとうち」(950.59総トン)で、機関室で噴出した潤滑油が排気管に接触して発火炎上し、初期消火不可能な状態で、直ちに機関室密閉すべきところその時期を逸し、火災が船全体に拡大し沈没に至るという事件が発生、機関室火災の恐ろしさを印象付けた。十勝丸(2代)の火災事故では、イオン式火災感知器の警報で直ちに現場に駆け付けたが、初期消火不可能な状態であった。機関室内へはエンジン運転のため新鮮空気が大量に送り込まれているため気流状態は複雑で、煙がうまくイオン式火災感知器の方へ流れて行かないこともある。このため、国鉄では主機械および主発電機周辺の異常事態を早期に的確に検知するため、半導体素子を用いた発火する前の可燃性ガスを検知する“可燃性ガス警報装置”を開発し、その検知部を主機械、主発電機の頂部に近接して設置した。本装置は1978年(昭和53年)度、青函、宇高の全連絡船に取り付けられた。
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