古曽部窯年表
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/06/15 00:54 UTC 版)
寛政2,3年(1790年~91年)ごろ、初代五十嵐新平により開窯。 明治年間、四代信平の長男栄次郎が「信平」を襲名して五十嵐家の五代当主となる 。 「明治四十年頃」(1907年)から「先代存命中の大正初年」にかけての時期に、栄次郎の健康上の理由により「廃窰」(「窯が廃された」)。 大正時代(1912-1926)、京都の陶工・河合磊三(かわいらいぞう,河合清一)が成形した型を使用して、「窯元(=栄次郎)も加えた村の有志」により、なんどか作陶が行われた。(「磊三古曽部(復興古曽部)」)。 地元の古曽部(現古曽部町)では、古曽部焼の開窯期間を「寛政三年(一七九一)から大正末期(一九二六)までの一三五年間」と伝えている 。
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