叛乱軍の東進(ケルレン河の戦い)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 15:40 UTC 版)
「シリギの乱」の記事における「叛乱軍の東進(ケルレン河の戦い)」の解説
アルマリクにおいてノムガンの捕縛を成功させたトク・テムルはノムガンをジョチ・ウルスに、アントンをカイドゥ・ウルスに引き渡してこれらのウルスに協力を要請したが、トク・テムルらの予想に反してカイドゥやジョチ家諸王は中立を保ち援軍を派遣しようとしなかった。やむなくトク・テムルは「カイドゥとジョチ家諸王はすぐに援軍に来る」という虚言を以てオゴデイ系・チャガタイ系諸王を誘い、軍勢を整えた上でモンゴル高原中央部に侵攻した。そもそもモンゴル高原中央部から西部にかけてはトゥルイ・ウルスの領地であり、コンゴタン部のバイバクが抗戦して敗死したのを除いてほとんど戦うことなくモンゴル高原中央部を抑え、ケルレン河流域の「チンギス・カンの大オルド(先朝大武帳)」を掠奪した。 事態を重く見たクビライはトトガク率いるキプチャク軍団を急ぎ北上させ、他にも「左手の五投下」に属するイキレス部のクリルら、そして直前まで南宋征服に従事していたバヤンが「シリギの乱」討伐に動員された。
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