叛乱者の退却地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 04:08 UTC 版)
後継争いの末、モンゴル第4代皇帝(カアン)となったモンケ(在位:1251年 - 1259年)は1252年、オゴデイ家とチャガタイ家の反対派に対して大規模な粛清をおこなった。この時、モンケの軍隊はキルギズやケムケムジュートの地にも派遣された。 モンケの死後、その末弟であるアリクブケと次弟であるクビライとの間で後継争いが起きた(モンゴル帝国帝位継承戦争)。クビライに敗れたアリクブケは自らの冬営地であるキルギズの地に退却した。 1277年、トク・テムル はシリギと共謀し、クビライに対して反旗を翻した。クビライは討伐軍司令官にバヤンを任命し、オルホン河畔にて反乱軍を破った。敗れたシリギはイルティシュ川方面へ退却し、トク・テムルはキルギズの地へ退却した。
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