取の表現
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 13:39 UTC 版)
アビダルマにおいては、欲取と、その他の取(見取,戒禁取,我語取)の違いについて、それは貪と悪見の違いであることを特定している。取は経験的に、アビダルマの4分類において以下の表として特定される。 特徴作用現れ考えうる原因貪 (lobha, ローバ) 物体を手に入れる 取りつくようなもの 諦めることができない 束縛を楽しんでいるから 悪見 (ditthi, ディッティ) 解釈が間違っている 推定による判断 間違った信念 法をまだ聞いていない 渇望(トリシュナー)と取(ウパーダーナ)の区別として、ブッダゴーサは以下の喩えをあげている。 「トリシュナーは、泥棒が暗闇の中で手を伸ばしているように、まだ到達していない物体を目指していることである。ウパーダーナは、泥棒が目的のものを握りしめるように、取得したものを離さないことである。これらは、探しつづける苦と、守り抜くという苦の原因である」 従って、釈迦が「取の蘊」について語っているのは、肉体的、精神的、意識的な経験について、それを掴み守り抜くことであり、それらは我々が間違って真実だと信ずるものである。
※この「取の表現」の解説は、「取」の解説の一部です。
「取の表現」を含む「取」の記事については、「取」の概要を参照ください。
- 取の表現のページへのリンク