反乱への参加と離別
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/12 15:33 UTC 版)
「フランソワ・ド・シャレット」の記事における「反乱への参加と離別」の解説
1793年、地方農民の徴兵やカトリックの禁止を押し付ける革命政府に対して、ヴァンデの反乱が勃発する。地方で戦闘に加わった農民達は、シャレットにその地域のリーダーとなるように頼み、彼もそれに従った。ヴァンデの反乱は、農民の反乱であると同時に、パリ(中央の革命政府)で勢力を失いつつあった王党派の反乱でもあり、彼にとってもこの戦闘に参加する意義は存在したからである。シャレットと彼に従った農民達は、反乱の最高指導者に選ばれたジャック・カトリノーに加わって、カトリック王党軍と名を変えた反乱軍のほとんどの戦闘や闘争において、共和国軍と戦った。 しかし、ナントの攻撃に失敗し、最高司令官のカトリノーが戦死すると、状況は悪化した。さらに、新たに最高司令官に選ばれたルイ・ド・エルベによる人事の刷新が行われると、シャレットは幹部の位には留まったものの、下級の位である“将軍補佐”の役に就けられてしまう。これを不服とした彼は、同様に新人事に不満を持つ士官・ジョリ、カトリニールや自分の部下を率いて下ヴァンデ軍を独自に創設。この軍のリーダーとなり、カトリック王党軍とは袂を別った。
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