即位と神器
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 14:44 UTC 版)
三種の神器がない状況での光明の即位は、後鳥羽天皇が後白河法皇の院宣により即位した先例に従ったものである。 後醍醐天皇は、建武の乱敗北後、三種の神器を北朝に譲り渡した。この時点で光明天皇の「神器なしの即位」という点は解消された。しかし、後醍醐天皇が逃亡して独自の朝廷を構築した際、北朝に渡した三種の神器は偽物であると称した。この段階で三種の神器が2組存在したことになるが、状況的にこの時の吉野潜行に三種の神器を帯同していく猶予はなかったとも考えられる。実際に後の正平の一統で後村上天皇は北朝の神器を奪還している。
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