南雲正朔
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南雲 正朔
なぐも せいさく
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南雲正朔
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生年月日 | 1903年1月1日 |
出生地 | ![]() (現群馬県渋川市) |
没年月日 | 1954年4月7日(51歳没) |
出身校 | 中央大学法学部卒業[1] |
前職 | 弁護士[1] |
所属政党 | 立憲民政党 日本進歩党 改進党 |
選挙区 | 北海道第5区 |
当選回数 | 3 |
在任期間 | 1936年2月20日 - 1945年12月18日 |
南雲 正朔[1](なぐも せいさく、旧姓・鳥山、1903年(明治36年)1月1日[2] - 1954年(昭和29年)4月7日[3])は、日本の弁護士[4]、政治家。立憲民政党所属の衆議院議員で大東亜参与官を務めた。
経歴
群馬県勢多郡横野村(現在の渋川市)に生まれる[1]。鳥山源吉の二男[4]。後に南雲貞三の養子となった[4]。1926年(大正15年)に高等試験司法科に合格し、翌年に同行政科に合格した[4]。1928年(昭和3年)に中央大学法学部を卒業し、弁護士を開業した[4]。
1936年(昭和11年)、民政党公認で第19回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。その後3回連続当選を果たした。その間、鈴木貫太郎内閣で大東亜参与官を務めた。
戦後、公職追放となり[5]、追放解除後の1952年の第25回衆議院議員総選挙に改進党から立候補したが、落選した。
1954年死亡。
人物
趣味は撞球[4]。宗教は仏教[4]。住所は北海道釧路市浦見[4]。
家族・親族
- 南雲家
出典
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第13版(下)』人事興信所、1941年。
- 『衆議院要覧(乙) 昭和十七年十一月』衆議院事務局、1942年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
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